viva cinema

ゴダール「女と男のいる舗道」映画への自己言及

BeauMale
2011.12.13

「女と男のいる舗道(1962)VIVRE SA VIE」の邦題は原題とかなり隔たっている.邦題は「女と男」と「女」を前にしていることから想像出来るが娼婦のことである.原題は直訳だと「自分の人生を生きる」で自立して人生を生きるという感じなので大分違うのである.扨、それは兎も角この映画は初めて観た時からその奇妙さに驚かされた.今回本当に何十年ぶりかで DVD であるが観たが、割と良く覚えている.最初は劇場で観たがその次は VHS で観ていた.


これは初めて観た時から驚かされた冒頭のシーンである.最初カウンター席に座るアンナ・カリーナの背中と後頭部しか見えない.右にいるであろう男性と話していて何時かキャメラは向こう側から撮るのだろうと思っていたが一向にそうはならない.カウンターの奥の鏡に二人の姿は映るが、その姿もアンナ・カリーナ自信に邪魔されカウンター内で右左に動く従業員に邪魔される.こんなに顔を見せないアンナ・カリーナであるが正面を向いた時は、キャメラを見つめるようにこちら観客を観ることも屡々あるのである.

Hosted by Picasa

暫くアンナ・カリーナの後ろ姿ばかりが撮られてキャメラは今度は男の後ろ姿の方を映し続ける.二人とも後ろ姿ばかりであるが会話は往復している.話の内容から、アンナ・カリーナはアンドレ・S・ラバルトの演じる彼、ポールの実家で同棲して子供までなしたが飛び出して来たのである.彼は未練たっぷりであるが彼女は戻る気がない.

Hosted by Picasa

店内のピンボールを始めて漸く二人の顔が見えるようになった.この始めの後ろ姿だけの画面で映画というもので普通はカウンターの向こうから映した画面作りをするが、それが映画という嘘のなせる技だと言うことを云っている.カウンター側から撮るとしたら実際のカウンターではなくセットで場所を広く取ってやらないと出来ない映画が作り物だと言うことである.

Hosted by Picasa

彼の家を飛び出した彼女は今はレコード店で働いている.これは故意にそうしていると思うがアンナ・カリーナはさっきと違ってカウンターの向こう側の人である.この画面に違和感を感じないのは主人公なら何時もこちらを向いているという暗黙の約束に過ぎない.それをさっきのシーンでは暴いて見せたのである.

Hosted by Picasa

アンナ・カリーナはカウンターの中を自由に移動する.お客にレコードを売ってレジに行ってからは右へ右へと移動する.キャメラはそれを追っていく.ちょっと片付けをしたりしながら移動する.

Hosted by Picasa

同僚が読んでいる雑誌を見ると同僚はこれの文章がステキだと云い、その言葉が朗読される.アンナ・カリーナの移動はそこまでである.

Hosted by Picasa

するとキャメラはカウンターに向かって右側の壁に沿って移動を始めてその間ずっと朗読が聞こえる.

Hosted by Picasa

そして壁と直角に交わる表の硝子窓まで進んで外の様子を映し出す.

Hosted by Picasa

更に右に窓を移動して、恐らくアンナ.カリーナのいる一の真向かいの硝子窓まで進む.この場の空間の位置関係がこれだけで解る.

Hosted by Picasa

縦の構図で中庭に通じるであろう暗い入り口を外の通りからアンナ・カリーナが入ってきた.

Hosted by Picasa

と思ったら身を翻し隠れるように彼女は外に出てしまう.この入ったら慌てて外に出て隠れるという動作が二度繰り返される.

Hosted by Picasa

次のショット出入り口から中庭を挟んで反対にあると思われる建物の入り口で女が箒で掃いている姿が映し出される.彼女はこちらを見て掃除を止めて奥に隠れる.

Hosted by Picasa

次のショットは中庭が俯瞰で映され子供が遊んでいる向こうに建物がある.

Hosted by Picasa

その同じショットに右からアンナ・カリーナが建物の入り口に駆けていくと右からさっきの女が子供達の横をすり抜けるように走り出てきて彼女を阻止する.女はアンナ・カリーナがいることに気付いて隠れていたのである.この女は彼女の借りているアパートの管理人の妻であるが家賃の滞納で鍵を取り上げてしまったのである.アンナ・カリーナは鍵を取り戻しに管理人室に来たのである.鍵は渡して貰えない.

Hosted by Picasa

併し彼女は諦めた振りをして管理にの妻の隙を見て管理人室から鍵を取って逃げる.

Hosted by Picasa

自分の部屋のある建物の入り口に向かって逃げ出すが女房の叫びを聞いた夫が先回りをして彼女は捕まってしまうのである.このシーン全体の空間の配置をしっかり捉えその空間を運動するアンナ・カリーナが捉えられそれを観るだけでもこの映画の良さが解る.

Hosted by Picasa

その晩アンナ・カリーナはドライヤーの「裁かるゝジャンヌ」を観に行く.髪の毛を刈られ火刑を宣告されたジャンヌダルクが涙をこぼすと、

Hosted by Picasa

アンナ・カリーナの眼からも涙が零れる.

Hosted by Picasa

アンナ・カリーナはレコード屋の店員ではアパートの家賃も払えずヌード写真のモデルなど探し、ある時は人の落としたお札を足で踏んで隠して着服しようとしたが直ぐ取り返され警察で尋問を受けたりもする.結局、街でで客を取ることにしてその最初の客が付いた.

Hosted by Picasa

これは娼婦専用のホテルの入り口であるが、この画面が面白い.外に車が見え、彼女は管理人室に入って空き部屋を訊く.客の男は彼女の入ろうとした管理人室の外側に掛かった鏡に映っているのである.

Hosted by Picasa

これは初めての身体を売る事への抵抗と云った情緒的な場面ではない.それには極めてビジネスライクに振る舞っている.これは唇への接吻を求められてそれを拒絶している.こういう表情のアンナ・カリーナは他には無いので載せた.

Hosted by Picasa

これはシャンゼリゼのカフェーでアンナ.カリーナは友達から紹介された女性に雇ってくれるように手紙を書き自己紹介を書いている.身長を書くのに一メートルと書いた後が解らず立ち上がって指で自分の身体の長さを測っている.こういう喜劇的画面は幾つか挿入されている.

Hosted by Picasa

そこにやってきたのがラウール(サディ・レボ)である.少し前に友達に紹介された男である.彼はアンナ・カリーナが娼婦かどうかを、散々侮辱して怒ったら娼婦、笑ったら貴婦人だと友達に云って、アンナ・カリーナを散々罵倒したら彼女が笑い出したので彼女の手に口づけして別れたのである.実のところこの男は組織売春のぽん引きでアンナ・カリーナは上玉であると近づいて来たのである.彼女はそのことは最初に紹介された時に彼のノートを盗み見して女の名前と客の人数や金額が記載されているのを眼にしているので知らないわけではない.

その彼との対話がこういう画面である.彼の真後ろから映しているので彼女の姿は頭が見えるだけである.映画ではこう言うことは行わない.TV だと机のコット側は何時も人が座らずという見え見えの演出をしているが、映画はもっと繊細な演出をする.真っ直ぐに向き合った二人をその視線毎映画は捉えること出来ない.映画のその限界に自己言及しているのである.小津安二郎は二人を互い違いに座らせてそれぞれ撮って後から編集して切り返しでその問題に対処した.走行中の車の運転席と助手席の男女が会話するシーンは本当の車では撮ることが出来ない.そうした映画の限界を語っているのである.

Hosted by Picasa

キャメラは左に位置を変えてアンナ・カリーナの姿を映す.

Hosted by Picasa

次には右に移動して彼女を映す.映画とはこういう制約の許にあるのだよということを言っている.併しそれではラウールの顔は映らない.

Hosted by Picasa

そして今度は真横から一人ずつを交互に撮りキャメラがその都度横移動する.(パンしているのか移動かよく解らない)

Hosted by Picasa

そうすれば会話のやりとりと移動による画面の変化でリズムがもたらされる.

Hosted by Picasa

時にはこのように二人を同時に納められる.納められるけれども真っ直ぐ見つめる視線を正面から捉えることは不可能なのである.前に触れた、ドライヤーの「ガートルード」では視線が交わること自体を排除してしまった.

Hosted by Picasa

この画面実はもう一つ気付いたことがある.背景のシャンゼリゼである.これはスクリーンプロセスさえ使っていなくただの写真なのである.ゴダールは全く人を食っている.この映画は全部で十二の章に別れていてこの第七章には「7:手紙 再びラウール シャンゼリゼ」とあるので外は実写のシャンゼリゼが映っているものとばかり思い込む.併しただの写真なのである.映画はかくも作り物であると云うことを思い出させてくれる.ゴダールは「気狂いピエロ」についてのインタビューで「血が多く流れますね」と訊かれて「血なんて流れていない.赤いペンキだ」と応えている.アンナカリーナがキャメラをじっと見上げる箇所が幾つかあるが、観客を見つめているようで、私は今こうして演じているのだと表明している.ブレヒトの異化効果である.

映画は外界を素朴にそのまま映したものではなく職人的手作りを駆使して作り上げたものである.だから作品なのである.所で人を食ったことにアンナ・カリーナが彼の管理の下で仕事をすることに同意すると背景は実写のシャンゼリゼに変わる.

Hosted by Picasa

次の章ではアンナ・カリーナの質問に答える形でラウールが早口で買春の目的は何であるとか法的規制はどうであるとか必ずしも美人である必要はないとか値段の相場であるとか平均どのくらい相手にしてどのくらい稼ぐとか妊娠は極力さえるようにするが妊娠してしまったら殆どの娼婦は人の憶測とは違って堕ろすようなことはせず、田舎に預けた子供に休暇の時会いに行くとか、検診日が休暇であって、給料は週末毎に支払われると云った売春についての全てと云った話が語られその間画面はアンナ・カリーナが次から次に客を取る様子が矢継ぎ早に挿入される.

その次の章では映画にラウールが連れて行かなかったことにむくれる彼女の慰めにとラウールの友達が風船を膨らます少年を演じ彼女を喜ばせるが、その場で黙々とビリヤードに興じている若者に彼女は興味を抱く.そこで彼女はジュークボックスの音楽で踊る.その様子は下の YouTube にある.

YouTube - Vivre Sa Vie - Nana's Dance

次にもう一つ章が入った後、彼女はあるカフェーに行く.カフェーは二階の内部から始まって壁の鏡に彼女が下から上がってくる様子が映る.

Hosted by Picasa

鏡に向かって真っ直ぐに進んできた彼女は鏡の前の席に着くが、隣の見知らぬ人が気に掛かる.見つめていても構わないかの問いに相手から構わないの答えが戻ってくる.何をしているかの問いには本を読んでいるという答え.何故読書するかの答えは仕事だから.

Hosted by Picasa

その人物はこの老人である.ブリス・ペラン(Brice Parain)という実在の哲学者が本人を演じている.この哲学者のことはフランス語版の Wikipedia にしか載っていなかったがコミュニズムとシュルレアリスムと実存主義に興味を持ちアルベール・カミュの親友である哲学者だとある.また、エリック・ロメールの短編にも出演したことがあるようだ.

Hosted by Picasa

彼女の質問に何でも即座に答えて言葉と思考は区別できない同じもので、話すことは話さないでいる人生の死を意味する.言語と沈黙の間の揺れが人生の運動そのものである.日常の生活から別の人生への飛翔、それが考えることだ.正しい言葉を見つけるべく努力すべきだ.誤りから真実に到達するためにドイツ哲学が生まれた.現実は矛楯も可能な世界として認識されうるといった話に彼女を導いていく.最後に彼女の愛は唯一の真実かの問いに対して愛は常にそうあるべきだが本当に愛するものを認識するには成熟と探求が必要だと諭されて、この章の題名のように彼女は知らずに哲学をする.

所でこの対話、哲学者の言葉は哲学者身の言葉であろろう.多分アンナ・カリーナの言葉だけ脚本にあってその質問を発するタイミングは撮影中に合図が送られているのであろう.

Hosted by Picasa

哲学者の話を聞いている最中に彼女はじっとキャメラを見上げてこちらを見ている.この画面は上のタイミングを知るためだったかも知れないがこの映像が残されたということに意味がある.こういう場面は他にもある.

Hosted by Picasa

YouTube - Vivre sa vie Philosophe

ダンスのシーンで彼女が好意を持っていた青年が彼女の部屋にきていて エドガー・アラン・ポー の作品を朗読する.彼女はそれに感動してこれを愛と認識し抱擁を交わして一緒に住もうと提案する.

Hosted by Picasa

YouTube - Vivre Sa Vie (1962) - Edgar Allan Poe イタリア語吹き替え版

併し愛の物語はこれだけである.ラウールとその仲間が彼女を無理矢理車に乗せる.これから彼女を他のギャングに売りに行くというのである.彼女は自分の何処が悪いかを尋ねると客を選り好みするからだと云われる.彼女は嫌なものはいやだと応える.車は途中トリュフォーの「突然炎の如く JULES ET JIM」の掛かっている映画館の前を通る.長蛇の列が出来ている.ギャングの一人は映画は面倒だ、平日は仕事でいけず休日は混んでいるという.

その車で移動中のシーンが終わり次のような画面が動かずに暫く続く.この白い車が相手のギャングのであろうと想像できるが次が解らない.彼女を乗せた車が果たして奥の角を曲がってくるのだろうかとじりじりしながら待っていると、

Hosted by Picasa

現れた.奥の角を曲がってこちらに向かって進み白い車の前方に止まる.

Hosted by Picasa

車から降りた男が白い車に行って話して戻ると女が先だという.ラウールは彼女を後ろから抱えて白い車に近づいて金が先だというと金を入れた財布を投げてきた.それを数えてなおもアンナ・カリーナを抱えて車に近づき十万足りないと云えば相手はいきなりピストルを構えてきた.女を盾にしても構わず撃つという.そして実際撃つが弾丸が出ない.

Hosted by Picasa

ここに来て何という演出だと思ったら、弾切れだからお前撃てと云うと別の男は直ぐさま撃ってくる.そして彼女に当たる.

Hosted by Picasa

ラウールは彼女を置いて一人車に乗るがよろけながら車まで逃れてきた彼女に向けて発砲する.

Hosted by Picasa

彼女はその場に倒れ、車は立ち去り路上に彼女だけが倒れている.「勝手にしやがれ」はベルモンド一人ではなかった.アンナ・カリーナは一人路上に残されている.

Hosted by Picasa

実を言うと筆者はアンナ・カリーナが最後に殺されると云うことをすっかり忘れていたのである.この場面はそこから作ったのではないかと思えるほど見事である.角を車が曲がってから二台の車の位置関係がはっきりしてその間に一気に事は起きてしまう.


このゴダール初期の映画は思った以上に映画自体への自己言及をしている作品であった.映画は制約を持っていてそれを熟知して手作業で作るものであるというメッセージに満ちている.この映画は何処を取っても素晴らしいのである.どの画面を取って来ても何々をしているアンナ・カリーナと題名が附けられそうである.

このリンク先に字幕なしだが全編が載っていた.いつまで置かれているか解らないが載せておく.

全編 YouTube - Vivre sa vie: Film en douze tableaux (1962) - Jean-Luc Godard

top