viva cinema

ヴェンダース「パレルモ・シューティング」を観に行った

BeauMale
2011.10.3

土曜に観に行ったときは映画の日も重なって満員札止めで入れて貰えなかった、ヴィム・ヴェンダースの「パレルモ・シューティング」を二日後の月曜に行ったが限定的上映ではあってもやはりヴェンダースの映画だったら観客が押し寄せて今日も入れないという目には会いたくない、三十分前に劇場に駆けつけたががらがらな様子である.多分観客数は二十人いないのではないかといった塩梅でこれではヴェンダースの映画もなかなか観られなくなるのではないかと心配である.

劇場でヴェンダースを見たのは「リスボン物語 (1995)」が最後でその前の「夢の涯てまでも (1991)」にはデジタル映像が多用されていてがっかりして、「リスボン物語」で元のヴェンダースに戻ったとほっとしたが、その後の十年以上劇場から足が遠のいて、DVD では見ていたが劇場は年に数回という体たらくであった.今年からは復活してもっと繁々行くつもりである.

映画の主人公はなの売れた写真家で、引っ張りだこといった様子で撮り続けている.映画の後半に入るまでは大音響が鳴り響いて、ヴェンダースでこういうのはあっただろうかと思ったら、音源は彼のイヤフォーンであった.耳を触ったら音が途切れて大音響になるという細かい演出で音は彼のイヤフォーンからのものなのだった.下の画面は、広告か何かに使う写真を、助手が空は他のと差し替えたというのに応えて、空はこの方が良い、併し、時間を入れたい、左の方に朝日を入れて、右には夕日を入れて、それらがガラスに映るように色を入れろと命令する.すべての写真がデジタル処理されるということが後々問題になる.

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耳は大音響で、飛び跳ねながら撮映をする.

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こういった広告の写真を撮り続けている.

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あるときお腹が大きい妊婦である女性をモデルを撮影する.腹を前に出してと指示したときに見事なまでにまんまるな腹が映される.丸いものとは確実に映画の画面の矩形に対するアンチテーゼであろう.そしてその通り自ら妊婦モデルだというこの女性から、デジタル処理されたのではなく自然な写真でやり直したいと要求される.

予告編には残念ながらこのまんまるなお腹の影像はなかった.だがもう一つの仕掛けがあった.車を猛スピードで飛ばしているとあやうく大事故になりそうになる.その事故の時何かの顔が一瞬写ったようにも見える.さっきの妊婦の写真を撮り直すべくドイツから田園の広がり古い家並みの並ぶシチリアのパレルモに行くが、そこでも彼は何者かに追われている.

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そんなある日彼は一人の女性と知り合い、彼にとっての救いであるのかもしれない.彼女が居住している場所は祖母の家で大きな古い屋敷は電気もなくランプを灯して暗い階段を登って行くようなところである.

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彼はそれでも心の平安は訪れていない.

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そんなある日彼をつけ狙う者がついに姿を現した.この映画ので出しのタイトルで、デニス・ホッパーが出演しているとあったがここまで登場せずにいつ出てくるのかと思っていたら、それがデニス・ホッパーであった.彼はそれが死神であるということを悟る.一体何で来るのだと云うと、これを見てみろお前が呼んだのだという死神の言葉に覗き絡繰りのような箱を小穴から覗けばあの事故の様が出て来る.おまえは生きることが楽しくはないのだろう.そんなことはないと否定するが死に神は聞く耳を持たない.写真はいい発明だという死に神の言葉に対してお前のような爺は何も知らないだろうとばかりに、写真といってもデジタルだと得意げに言えば、死に神、それが行けない.デジタルには本体がない、コピーして貼りつけて修正してとこれが駄目なのだと言い返される.

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目が覚めると傍らに彼女が眠っている.その美しい寝顔を見ている所で映画は終る.現代文明の虚しさという話だったらこの映画は退屈なものであろう.それを語るのではなく、画面画面の秘めた運命的力が、これもギリシャ悲劇のように結末に向かって動員されている.今回は結末は無しであったが.

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