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ロッセリーニ「火刑台のジャンヌ・ダルク」をごく短く

BeauMale
2012.5.2

以下の文章は 2012 年四月三十日に書いたもので、短いけれど少し直して載せておく.


昨晩は届いたばかりの DVD、ロベルト・ロッセリーニの「火刑台上のジャンヌ・ダルク Jeanne au Bûcher(1954)」を観た.これは日本では未公開の映画で、「ストロンボリ (1949)」、「イタリア旅行 (1953)」、「不安 (1954)」のイングリッド・バーグマンをイタリアに浚っていって撮った三部作以外にこの映画があると云うことを全く知らなかった.DVD はあるのを知って直ぐに注文して首を長くして待っていたのが昨日届いたのである.

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それで観出して、これは普通の映画ではない、オペラなのかなと調べたら、フランスの現代音楽家 アルテュール・オネゲル Arthur Honegger の作曲した劇的オラトリオであった.その言葉は ポール・クローデル によるものである.クローデルは駐日フランス大使も務めた外交官であり、詩人で劇作家である.姉は彫刻家のロダンに恋をして気が狂ってしまう女流彫刻家のカミーユ・クローデルである.クローデルの作品は大学の時原文で「繻子の靴(Le Soulier de satin)」を習ったが、これは素晴らしい作品であった.この授業は夏休み前に当てられていて完璧にやってあったのに、休み明けの授業は休講である.一度ならず何度も続けて休講で、その中研究室の女の子から前もって休みだと連絡が来た.結局の所休講の掲示もないまま、一月以上休みで、連絡がないので行ったけれどもこちらが大幅に遅刻で、着いたときは当たっている箇所は終わっていて教授が先をやっていたか、次に当たっていたのがやっていたか、全くなんたることかであった.

話が横にそれたが、映画では脚本にロッセリーニの手が加わっている.このジャンヌ・ダルクも死んでからの話である.天国らしいところで火刑で死んだばかりのジャンヌが嘆き悲しむのを聖ドミニックという司祭が慰めて、彼女の過去の有様を見せるという筋立てである.

最初の写真は可笑しかった.天使が列を作って歩くのだが後ろ向きになってしまった.後光、あるいは光背というものは絵画は勿論彫刻でも後ろから見られるものとしては作っていない.平安時代までの仏像もそうだが後ろに回ってみるものとは考えていない.立体であっても浮き彫りのようなものなのである.それが完璧に立体になるのは、つまり後ろに回って観られることを意識されるのは日本では鎌倉時代の運慶達からであり、ヨーロッパではルネサンス以降であろう.絵ではなくて彫刻でその頃以降に光背が着いた彫刻があったのだろうかと思う.なのに後ろ向きの光背というのは初めて眼にしてそれが面白い.次の写真のように前向きだったら様になっている.次は、アンヌが火刑にされる所でそこから天使達が取り囲む天に昇って来る.扨、最後の一枚も面白い.ジャンヌが異端で魔女だとされたことを嘆き悲しむので、一体お前を裁いた奴らは人間ではないのだと、これを見せて当時を再現する.裁判長は豚なのである.豚のお面を頭に着けている.実際の裁判長はピエール・コーション(Pierre Cauchon)であるが、Cauchon の綴りを Cochon とすればこれは豚のことである.豚が裁いたものだと云ってジャンヌを慰めるのである.画面左がドミニックで右がジャンヌで奥で過去が演じられる.実際奥の芝居の中に手前からジャンヌが進んでいき中に入ってしまうこともある.

Jeanne au Bûcher Hosted by Picasa

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ジャンヌの過去の再現であるから、最後にはまた火炙りにされる.ブレッソンの「ジャンヌ・ダルク裁判」にも書いたがヴィクター・フレミングの「ジャンヌ・ダーク(1948)」は イングリッド・バーグマンがジャンヌで火刑に処せられているはずだ.そしてこのロッセリーニの映画では二度火刑の場面が出るので、三度焼かれたと云うことになる.三度も焼かれる女優は他にいるのだろうか?

これまで観たジャンヌ・ダルク映画、オットー・プレミンジャーの「聖女ジャンヌ・ダーク(1957)」、ブレッソンの「ジャンヌ・ダルク裁判(1962)」もジャック・リヴェットのの三部作もそしてこのロッセリーニの「火刑台上のジャンヌ・ダルク(1954)」と四本ともジャンヌの火炙りにされた後から始まるというのはどうしてなのだろうかと不思議に思う.

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