viva cinema

イーストウッド「グラン・トリノ」を観た

BeauMale
2009.5.29

思うことあって、クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を劇場で観た時何かを書いたはずと、探してみたらあったので採録しておく.今年は 2011 年であるから二年前の五月の末に書いていた.

昨日その前日に夕食を作ろうとしたら突然襲ってきた睡魔で三時間ほど寝てしまったと書いたが昨日はそういうことが起こっては困るのだ.兎に角睡眠を取って身を清めるという程ではないにしてもこの数年サボって劇場に足を向けていないその数少ない劇場に行くのだからそれほどの気持ちでなくては駄目なのだ.今まで劇場で寝てしまった経験が無いことはなくて同じ映画を同じ場所から寝てしまったと云うことがある.その一つはロシアのセルゲイ・パラジャーノフというグルジア出身の監督の作品、「アシク・ケリブ(1988)」これは民族音楽と民話的な内容で出だしからどの辺でだったかもう熟睡してしまって作品おかずも少なくそれ以前のものは主要なものは全部観ている最新作、こんな映画は滅多にお目にかかれるものではないのでもう一度同じ劇場に見に行ったが全く同じ所でまた寝てしまった.ソ連政府から精神病院に押し込まれていた監督の他の作品は寝るようなことはなかったがこのソ連崩壊後に出来たこの映画だけはどうにも耐えられない.まるで催眠作用を放っているようだった.後で蓮實重彦がこの映画は寝てしまったと何処かで書いていたので、筆者の所為ではなく映画自体が催眠作用を放っていたとしか思えない.もう一つはこれもロシアの監督タルコフスキーの「惑星ソラリス (1972)」でこれは全く別の機会に二回観たが一回目は微熱があったので致し方ないと思っていたのだが別の機会に見たときも寝てしまってやはり催眠作用を放っていたのであろう.駄作の映画というのは寝ることはないので同じ場所で人を眠りに誘うというのも優れた作品には出来ることなのかとも思う.

まさかクリント・イーストウッドの作品では寝ることもあるまいと思ったが劇場に行くと全席指定となっていて最近はそうなっているのかと驚いたが勿論映画はスクリーンの布の肌理が見えるほどに前の方で見るのが好きで前の方を頼むと、真ん中辺りでどうかというのでいやもっと前にしてくれというと見上げる感じですよというが、TV を見るのではない、映画を観るのだ画面全体に包み込まれなくてはならないのだ、確かに劇場によっては前の方だと首が痛くなる所もあるがこの劇場はそんなことはなかったと思って座席表を見て構わないから前から五列目当たりの通路側にしてくれと云うと希望通りなので空いていると云うことが解る.以前良く観に行っていた頃は大体何時も一万円近くの前売り券を持っていてそれは足繁く通って予告編や劇場のチラシで見て買っていたのだが、始まった予告編はこれが予告編なのかと思う作りでまともな予告編が作れなくなっているのか、予告編が始まったときは劇場の明かりを本編の始まるときと同じに暗くしているはずが少し落としただけでやっている.これは余りの退屈さに眠くなってきたが本編が始まればしゃきっとしてきた.

「グラン・トリノ (2008)」は全く何の予備知識も無しに見たから最初に出てきた教会堂の正面の映像でこれは題名からの連想でイタリアとかマフィアに関係ある物語なのかと思ったら全くの勘違いでグラン・トリノはフォードの車種でクリント・イーストウッド自身が演じる役が元フォードの組み立て工であった.良い映画作家の映し出す車はつやつやと光っているものだが勿論グラン・トリノも輝いていた.最初の教会堂の内部に画面は変わって唸り声、これは一体何の音か聞き違いかと思ったのだが、とともに現れるイーストウッドの姿はまるで蝋人形であるかの如くで、一体何故こんな姿なのかとずっと心に残っていた.これが妻の葬式の場面であったが、それから後は、有色人種が隣近所に住みだし白人は皆出ていったうらぶれた住宅街の芝生を前にしたポーチで犬が傍らに寝そべり缶麦酒と煙草を片手に新聞を読む日常から物語は進行していく.その前に犬を連れて噛み煙草を家の周りで口にしてペット吐き出す場面があるけれど、盛んに唾を吐き時には犬に命中して犬は悲鳴を上げる「アウトロー(1976)」を想い出す.そういえばこの連れている犬はその映画の時のと同じ種類の犬ではないかと思う.冒頭から屡々聞こえる唸り声、ポーチで読む新聞の紙の発する音、イーストウッドの映画で音に最初に気付いたのは「ペイルライダー (1985)」の遠くから近づいてくるあの世からやってくる死の国の軍団を思わせる馬の足音であったが、「ミスティック・リバー (2003)」ではイーストウッドはヒッチコック影響かと思う冒頭のヘリコプター撮影を多く使うがこの映画のヘリコプターは音が聞こえ音があるなしで物語の中のヘリコプターなのか撮影のためのメタ物語のヘリコプターかの区別が出来るのだと変なところの感心した.この映画は音に満ちて人物毎のテーマ曲をイーストウッド自身が作曲していてこれは音のための映画なのだと思ったものだが今度の「グラン・トリノ」も音に満ちている.忘れるところであった.グレナダ侵攻を描いた「ハートブレイク・リッジ (1986)」の嗄れた囁きとも言えるイーストウッドの声がこの「グラン・トリノ」で再現されている.鬼軍曹のステレオタイプとは違う嗄れた囁きはあの映画の魅力の一つであったがこの映画では老齢を表すものとして使われている.イーストウッドは実に音に敏感な監督なのだ.

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物語として隣に越してきたベトナム難民一家でその家の若者、姉弟だけが英語を話せ、イーストウッドとその弟がひょんなことから師弟関係になるのだが、「ルーキー (1990)」の物語の再現みたいである.併しもう大昔に見たキング・ヴィドアーの西部劇「星のない男(1955)」を思いだした.カーク・ダグラスが若造にピストルの撃ち方とか色々教える物語が挿入されていたと思う.話の筋はこれから観る人のためにも書かないが、結末は書かざるを得ない.しかし物語の周到な丁寧な運びで喀血、医者、日本車なんかを売っている大嫌いな息子に電話さえするのだからこれは決して唐突なことではない.素肌と聖痕――クリント・イーストウッド『ブラッド・ワーク』 蓮實重彦 にある素肌に聖痕が最後の最後に幾つも刻みつけられるのだが、いつものようにすっくと立ち上がることがない.本当にそうなのかと正直あっけにとられたが物語を辿り直すと全てはそこに向かって物語が収斂していたことが解る.そういえば割と最近イーストウッドがこれが最後の出演作品だと発言したというのを読んでいた.もうクリンスト・イーストウッドの主演するイーストウッド作品は劇場で心躍らせて見ると云うことが無くなってしまうのだ.だから映画が好きだというのならこの作品は万難を排して劇場に足を運ばなくてはならない.

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