viva cinema

ドライヤーの「ガートルード」見つめ合わない視線

BeauMale
2011.9.27

先日ヴェンダースの「パリ、テキサス」は人が人をリレーのように運ぶ物語で運び届けるという仕事が完成するにはお互いにスクリーンに目を向けてその後お互いに視線を交わすことが無くては完成しないということを書いたが、視線を交わしているそのこと自体を映し出すことは映画にとって不可能なことで互いに互いの目を見つめてあっているその双方の視線を一つの画面で捉えることは出来ないのである.映画監督達はその不可能事を充分意識していて、まっすぐ前を見ている顔を相互に撮って互いに見つめ合っていると観る人に連想させたり、横から双方を一つの画面に映してこれはお互いを見つめ合っていると連想させるなど様々に工夫をしている.だからこそ、ヴェンダースが、その不可能時を硝子の向こうの人物に硝子のこちら側の人物の写る顔を反射させて重ね合わせるという、吃驚するやり方を撮って見せたのはとても感動的なのである.

カール・テオドール・ドライヤー は 1889 年生まれのデンマークの監督で観たことのある作品は「怒りの日 (1943」、「奇跡 (1954)」、そしてこの「ガートルード (1964)」の三本だけで、「奇跡」だけは劇場で観た.この映画は細部は覚えていないが白い映画だと云うことだけは印象に残っている.当時この監督がどういう監督だと云うことも何も知らずにいたが、後に白黒映画で壁を真っ白に映すためにピンクに塗ったのだという話を読んだ.

この「ガートルード」はいろいろな作家が登場人物の視線をどう表現しようかと考えているときにあっと驚くことをやっている.視線を交わらさないのである.互いの視線が互いをまっすぐに見つめ合うと云うことを極力排除するのである.例えばこの並んで突っ立ている二人は片方が見ても片方はその方向に視線を向けない.

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普通であれば横向きにして互いに相手の方向にまなざしを向けて、それを交互に切り返してお互いを見ながら会話をしていると表現するが、二人は正面を向いて話をして、キャメラは左右を横移動で行ったり来たりする.

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会話の声事態は必ずしもキャメラが向けられているときだけ発話されるとは限らず相手の声が聞こえたりもする.こうして交互に横移動を繰り返したかと思うと、キャメラは手前に引いて二人が並んで話している位置関係を確かめる.

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片方が立ち上がればキャメラはなおも引いて立っている人物と座っている人物を映し出す.この間お互いに見つめ合うと云うことだけは排除される.

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この二人はガートルードとその夫の政治家である.夫はもうじき大臣に任命されるであろう.併し、この時妻の口から別れ話をされるのである.ガートルードは彼と結婚する以前はある有名詩人と暮らしていた.詩人の許を去って彼の許に来たのである.別れる理由は夫が仕事第一で妻を顧みないからだという.夫は他に恋人がいるのかを尋ねるとそうだと応える.

次は彼女がその恋人と会うところである.出逢って直ぐに口づけをするが目をつぶるので視線を重ねるようなことはない.

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彼は作曲家で彼女は以前は歌手であった.彼のピアノで彼女が歌うのだが、そのとき一瞬互いに見つめ合うが、これは歌の出だしの合図である.

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ただ一度長く見つめ合う場面があった.この映画の中で最長不倒記録ともいうべき長い見つめ合いである.何故長い視線の交差があるかというと、この時彼女は夫と別れる話をしたということを彼に告げるのである.彼女はこの若い作曲家を愛しているのであるが、彼の生活が乱れていて、それでは才能を無駄にするという忠告も口にする.

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次は彼女が彼にピアノを弾いてくれというと、彼はドビュッシーかと応じると、あなたの曲を弾いてくれという.ピアノが鳴り出すと彼女は隣の部屋に入っていき姿は見えないが壁に映る陰で服を脱いでいるということが解る.こんな演出他で見たことがない.気配を感じて彼はピアノを止めて部屋に入って一瞬驚きの表情をするが、それ以上は映すようなことはしない.

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彼女が以前ともに暮らした詩人は今や大詩人となって長い外国暮らしから戻ってくるというのである大学で総長及びガートルードの夫の主催で晩餐会が開かれる.歓迎会で学生のコーラス隊が食堂に入ってきて詩人を称える演説をしたり、それに詩人が応えたり、ガートルードの夫の歓迎祝辞が述べられたりする.夫の演説の最中、彼女は頭痛がするといって別室に退く.パリで勉強している友人や、夫や、詩人が次々と見舞いにやってくる.勿論視線は誰とも合わせることはない.詩人は昨日いったドンチャン騒ぎのパーティーでがっかりしたという話をする.ある若い作曲家が自慢話をする.最近の獲物の話を得意顔に話す.全く軽蔑すべき奴だと話す.勿論彼女にはそれが誰であり獲物が自分であることは直ちに解る.詩人はいうべきでなかったかも知れないが言わずにはいられなかったという.

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大学の総長の要請で歌を歌ってくれないかと夫が戻ってくるが彼女は直ぐに引き受ける.所がピアノの伴奏は恋人の作曲家であった.歌っている最中に彼女は倒れてしまう.

その翌日彼女は作曲家に会ってこれから旅に出るが一緒に来てくれないかという.お金がなければ自分が出すというが、彼は馬鹿にするな女に養って貰いたくはないという.行きたくない理由が他にあるのだろうと彼女が問いただせば、妊娠させた女がいるので駄目だという.男は自分を優位にしたくて、自分には理想の女がいる、純真で純情で従順な女であるが、あなたは高慢だ、上流階級の高慢さだと思っていたが精神そのものが高慢なのだといって強がってみせるが、彼女は私はあなたを愛しているけど、あなたは私を愛していないといって彼を去らせる.

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家には詩人が夫を訪ねてきている.夫が電話に出ている間、鏡の中に彼女が現れる.映画には鏡がつきものである.何故なのかと思うが視線の不自由さを解決する一つの道具なのかも知れない.あるいはキャメラも写ってしまうという不自由さへの挑戦なのかもしれない.

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詩人は彼女に復縁をえ迫るが、この時彼女は子供をあやすように詩人の頬を両手で挟み、私はあなたの愛で自分の汚いものが浄化されていった.併し時が経つとあなたは名声だけが興味にの中心になって肉欲以外は私には感心が無くなり重荷と感じるようになった.私はだから立ち去り併し、肉欲のために結婚したのだが、これから夫とも別れて旅に出ると諭すようにいう.この時の見つめ合いも少し長かった.夫が戻り大臣就任を三人で乾杯して祝い.彼女は出て行く.

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彼女はパリで、前に頭痛の時見舞ってくれた友人と勉強を始める.二人は恋仲になったわけでは無く生涯の友人として何十年も後でも時々会っては会話を交わす.併し視線を交わしたりはしない.

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この映画は視線を交えない不思議さだけではなく、デンマーク語でどんな感じで話しているのか解らないが、必要最低限しか口にさせないという台詞を舞台から観客に向かって話しているように聞こえるがその音が心地よくも感じられる.

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