viva cinema

「ふたりのヌーヴェルヴァーグ」を観に行った

BeauMale
2011.9.3

昨日観た映画は劇場のであった.「ふたりのヌーヴェルヴァーグ」というドキュメンタリーである.この映画は映画として面白くはないであろうと思ったがその通りであろうが、出てくる作品が劇場のスクリーンに映し出されるだけで釘付けになってしまう.改めて劇場の映画と DVD は別物であるということがよく解る.今年はヌーヴェルヴァーグが始まって五十年なのである.その始まったばかりの頃より後に筆者は一人で映画を見に行ける年代に達していて、当時まだロードショーではない数年遅れてやってくる映画が観られ自分の小遣いで観ることが出来た.筆者がいつも羨ましいと思う世代は戦後に、戦争中に入ってこなかった映画と、封切られたばかりの新作とが一気にどっと押し寄せてきてその当時、ティーンエイジャー以上であった映画好きの人たちである.その頃の映画はリバイバル上映で観るか、特殊な映画好きだけが集まる環境でしか見られない.後はヴィデオテープや DVD である.次に映画が東京では沢山見られた時期があった.七十年代後半からバブルのはじけるまでの時期、当時単館ロードショーの小さな映画館が沢山出来てよい作品を上映していた.当時の東京はパリに次いで映画が沢山見られる場所であった.その当時は筆者も実にせっせと映画館通いをしていたがロードショーで当日券では経済が持たない.前売り券を沢山購入して常時一万円は前売り券を買って持っていた.バブルがはじけたら真っ先にそうした映画館が閉鎖でまた暗黒時代に戻ってしまって、それ以降の二十年は筆者の出不精もあるがめっきり映画に行く機会が少なくなってしまう.

今年はヌーヴェルヴァーグ五十周年なのであるが、その始めがカンヌ映画祭で喝采を浴びたトリュフォーの「大人は判ってくれない」である.これが最後の場面.感化院から脱走した少年(ジャン・ピエール・レオ)が最後にたどり着くのが浜辺である.

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その浜辺の波打ち際を走り回っていた少年が立ち止まってこちらを向くとアップになってストップモーションで映画は終わる.トリュフォーと後に大喧嘩となるゴダールは、トリュフォーの発明したのはこのストップモーションしかないと悪口を言う最後の画面である.

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翌年はゴダールの年で、あるギャングに興味を持って新聞記事をスクラップしていたトリュフォーにそれでシナリオを書いてくれ、会話はなしでよい.自分で作るからと頼んで出来たシナリオを元にして撮った映画がゴダールの「勝手にしやがれ」である.フランスでは日本も同様にジュリアン・デュヴィヴィエとかジャック・フェデーといった良質おフランス映画がもてはやされ、教養ある人々はハリウッド映画のようなものは観ないで高級なおフランス映画こそが観るべきものという風潮がったが、ゴダール、トリュフォー、ロメール、リヴェットといったヌーヴェルヴァーグの旗手たちは、ハワード・フォークス、ヒッチコック、オーソン・ウェルズこそが映画なのだ、ハリウッド映画こそが映画なのだと批評活動で熱弁をふるい、結局自分で映画を作り出した.ここで筆者が初めて見たのはトリュフォーがヒッチコックにインタビューする映像と、ゴダールがフリッツ・ラングにインタビューする場面である.トリュフォーのインタビューは「ヒッチコック映画術トリュフォー」という本に結実する.ゴダールはサミュエル・フラーを「気狂いピエロ 」に登場させるし、「軽蔑」はフリッツ・ラングが実際に登場するフリッツ・ラングのフィルムメイキングの映画である.

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ヌーヴェルヴァーグが世に出るにはドゴール政権の文科相アンドレ・マルローの力が効いたようであるが、1968 年の五月革命に先立つこと数ヶ月前に、シネマテーク・フランセーズ(Cinémathèque française)の館長の アンリ・ラングロワ がマルローから首にされるという事件が起きる.ゴダールとトリュフォーの世界中に呼びかけられた反対闘争で結局復帰するという、後の五月革命の先鞭という事件で演説する二人の映像.左がトリュフォー、右がゴダールである.

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上の写真は予告編から拾ったものであるが、話はまだ続く.五月革命を通して、ゴダールはマルクス主義毛沢東主義へと傾斜し、トリュフォー自身のフィルムメイキング映画「アメリカの夜」が旧態依然とした映画作りだというゴダールの抗議で二人は決定的に決別する.ゴダールは商業映画を撮らなくなって、ゴダールの映画は観られなくなる.筆者がゴダール映画がまた見たのは「パッション (1982)」からである.その前の復帰後の最初の「勝手に逃げろ/人生 (1979)」は後から観た.このドキュメンタリーはゴダールの商業映画を撮らなくなってどのように復帰したかを語ってくれるのか期待していたが、それはなかった.

終わってから、人と食事して焼き鳥屋に入って金がまだあるかどうか本屋で財布を覗いたときまだ万札一枚あるのでギリギリ払えた.このドキュメンタリーの中に出てきた映画やポスターの中で筆者の見たことない映画はゴダールが一本と、官能の描き方を知ったというイングマール・ベルイマンの「不良少女モニカ」の一本だけという話をしたら大層悔しそうな顔をする.五六本あるベルイマンはどうしようかと思ったが好きな作家ではないのでコピーしなかったが欲しいかと聞くと欲しいというのでまたコピーの再開である.

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