viva cinema

テオ・アンゲロプロスが死んだ

BeauMale
2012.1.25

今日ギリシャの監督テオ・アンゲロプロスが事故死だというニュースを聞いた.撮影中にオートバオに撥ねられて死んだという.現役の監督が死ぬというのは何時もながらに喪失感を感じる.現役だということはこの先何時までもその監督が撮り続けてくれると思い込んでいるからその思いが突然断ち切られたようで喪失感が強い.

以下の文章は 2010 年八月二十八日に書いたもので、それを少し写真を足して載せておく.


六月の末か七月の初めの一週間 NHK はダグラス・サークのハリウッド時代のメロドラマ特集をやって驚いたが、昔懐かしの名画に拘る駄目な層ではなくまともに映画好きが内部にはいてそういうゲリラ部隊の企画が通るようになったのではと思えることがこの一週間にも起こった.昔劇場に映画を見に行ったときに横で別の人と話している人が NHK らしく、もう一人が NHK で放映されるのはどうにかならないものかというと、もう少しすれば若い者が力を持ってくるからと云っていたのを耳にしたことがある.それが今になって実際に起こっているのかも知れない.

そして今度はギリシャの監督テオ・アンゲロプロスの特集が組まれて「シテール島への船出 (1983)」、「霧の中の風景 (1988)」、「永遠と一日 (1998)」、「エレニの旅 (2004)」の四本が放映された.筆者が初めてテオ・アンゲロプロスの映画を観たのは「旅芸人の記録(1975)」でこれは四時間近い映画でさすがに劇場の椅子に座る尻が痛くなった.夜中の十一時頃から始まって朝五時頃までという深夜興行も昔は良くなされて六時間であっても一本の映画ではないので尻は痛くならないが、出てくると太陽が黄色に見えた.

「旅芸人の記録」はドサ周りする演劇団とギリシャの現代史を重ね合わせたような叙事詩的作品である.アンゲロプロスの映画は舞台は何時でもどんよりと曇った冬でエーゲ海に面した明るいギリシャというものは一つもない.だから細部の素晴らしさにもかかわらず観ているのが辛い.今回放映の「霧の中の風景」はこれも劇場で観たが、十代になったばかりという年格好の姉が、幼い弟を連れてドイツにいるという父を訪ねてヒッチハイクでドイツまで行くという話し.本当に雨ばかりの寒い冬空を進む姉弟が淡々と描かれる.大きなトラックに載せて貰って旅を続ける途中弟が助手席で眠っている間に運転手に荷台に押し込められ強姦されるといった話が挿入されていて気が滅入る映画である.「ユリシーズの瞳 (1995)」も辛い映画であった.ユーゴーの内戦を描いていたが死体があちこちに見える.

昨日観たのは「永遠と一日」であるがドイツの名優ブルーノ・ガンツという筆者の大好きな役者が出るし、ダビングするとき夏の風景が沢山入っているなと思ってみたのである.ブルーノ・ガンツを初めて見たのはこれも初めて観たヴィム・ヴェンダースの「アメリカの友人(1977)」でこの映画は、デニス・ホッパー、ダニエル・シュミット、ニコラス・レイという筆者の大好きな監督達が役者として登場する余命幾ばくもない額縁職人のブルーノ・ガンツに殺人をさせようというギャングのたくらみを描いたサスペンスである.

テオ・アンゲロプロスの映画はものを正面に据えて左右対称という画面が多いがこの映画の冒頭もそうで、浜辺の屋敷が正面に据えられて、最初に詩が朗読され何が起こるのかと観ているとカメラは建物の内部に移り、屋敷の大きなどっしりとした扉が見える.こういうことは絶対に TV ドラマでは味あえない、本物のものの実在感である.TV ドラマの大道具を見てみればそれが映画のとは違って如何に安物のペラペラかが解る.ブルーノ・ガンツは詩人で小説家の老作家役で、明日からは入院して余命もないらしいと云うことが知らされる.併しどういう病気でどうなるかということは一度も明かされない.終わりの方で出会う医者が告白するように医者の言葉は難しく上手く表現出来ないが僕らは皆あなたの詩と小説で育った世代なのだというので余命幾ばくもないことが解る.

夏の風景があると思ったのはどれも回想場面で皆白い服か水着で浜辺の風景である.回想の中のブルーノ・ガンツだけは黒っぽい真冬のオーバー姿である.ひょんなことからブルーノ・ガンツはアルバニア難民の幼い男の子と知り合いになる.難民のストリートチュードレンは車が止まるとやってきて窓拭きを始めるが警官が大勢で捉えに来る所を助けてやる.その後人身売買組織のようなのにその少年は捕まっている所を買い取り、故郷に帰そうと国境まで行くが、これもアンゲロプス映画ではお馴染みの今回は木に咲く絞首された人々ではなく国境沿いの高い金網によじ登ったまま息絶えている人影が遠方見えて引き返す.ブルーノ・ガンツは十九世紀のある詩人に傾倒していてその詩人はギリシャ人であるがイタリア育ちでギリシャで反オスマントルコの革命が起きたが、イタリアから故国に戻ったもののギリシャ語を知らず金を払って言葉を買ったという話が伝わっていて、その話しをすると画面はシルクハット姿の詩人が登場して言葉を買う画面が挿入する.少年もそれを真似てブルーノ・ガンツに言葉を売る.

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夏の回想場面でブルーノ・ガンツは美しく若い快活な妻と連れ立ち沢山の仲間と浜辺を歩んでいる.他の仲間は泳ごうと云って海に向かうと二人の立っている地点よりも海は低く地平線は二人のいる砂浜で泳ぎに行く仲間達の姿は画面から消える.ブルーノ・ガンツは崖を登らなくてはと云うと妻は裏切り者といってサンダルを脱ぎ捨て海に向かう.地平線に妻の姿がどんどん下から消えて行く所が長回しで映され、カメラは決して他の者達が泳いでいる地点は映さない.次にカメラが切り替わると崖をよじ登るブルーノ・ガンツに変わり、崖の上の石の碑文を読む所を写し崖の突端に進むブルーノ・ガンツの後ろ姿に向かったかと思うと海と空を映しカメラは上昇して空に向かうとその空に宣伝文句を棚引かした小型飛行機が映り、カメラが下がるとそこは回想ではなく現実の波止場で人々が子供が死んだと遺体を運んでいる.こういう画面が随所にあって本当にはっとさせられる.

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少年は最後に船で故郷に帰ることになるがブルーノ・ガンツは一人にしないでくれ、船が出るまで二時間あるからその間付き合ってくれと懇願する.二人の後ろに右から左へとバスがやってきてそのバスが正面に据えられると二人はバスに乗ることにする.バスが出発して左端から姿を消すと黄色い服を纏った三人の人物が自転車に乗って右から左に入ってきてバスを追うように左から姿を消して行く.バスには変な人物が乗り込んできて、フルート三重奏団が乗り込んできたら演奏を始める.十九世紀の詩人がシルクハット姿で乗ってきて人生は美しいで締めくくる詩を朗読する.下りるときにブルーノ・ガンツは詩人に明日という日の長さはどれだけかを尋ねるが返事がない.一番最後にもう一度妻が回想に現れ、明日という日の長さはどれだけかを尋ねると「永遠と一日」と云う答えが返ってくる.英訳の題名は「ETERNITY OF A DAY」となっている.

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