viva cinema

イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を見て

ゆうたこ
2015.2.27

イーストウッドの最新作「アメリカン・スナイパー AMERICAN SNIPER (2014)」はつい最近「ジャージー・ボーイズ JERSEY BOYS (2014)」を観たばかりと思っていたが同じ年に二本もとっているのには驚く.1971 年の「恐怖のメロディ」以来ほぼ監督作品は一年に一本づつ撮っているが過去には三度ほど年に二本撮っている年がある.今回は最初の部分だけ一緒に観に行った BeauMale が書いて後は前回同様にゆうたこ君である.

この部分だけ書かせて貰ったが少々長くなる.主人公が始めて実戦に参加して最初の狙撃を行うシーンである.兵士達は反政府の武装組織が潜伏しているので家捜しをしている.右のビルが目的の場所でいきなり扉を蹴って開き中に突入する.

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一方狙撃隊は今のビルの道を隔てた反対側のビルで部隊の護衛として隠れている.狙撃目標については鬱前に必ず報告して許可を得ている.兵士達が突入したビルの多分並びのビルの上の階のバルコニーに男が出て来て下の様子を窺いながら携帯で話している.主人公の狙撃手は男が携帯を持って出て来ていると報告するが自分で判断して怪しければ撃てと命令される.同僚はママと話しているだけかも知れないよ、というが照準を合わせて何時でも撃てるようにする.このように画面は切り替えされては狙撃手達が映される.これ以降は切り返しの写真は省略する.

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すると見張っている相手が撃つかどうかの判断する余裕もなくすっと屋内に入ってしまう.併し目標を無くしたが標準機の狙いはそのまま壁に沿って降りて行くが、そこには階下の出入り口がある.ここからさっきの男が出てくるのを待つのだろうと思っていると、出て来たのは男の子と女性である.

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その事を報告すると、二人は道に出ていくが、画面は屋上の柵のの破れから下の景色を映してカメラは段々寄っていく.

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そのまま寄って二人の姿を上から映すのかと思ったらここでまた驚かされる.部隊と戦車がいる方向を見詰める二人が後ろから映される.

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そして今度はまた照準機の映像に変わって二人を前から観ている.狙撃手は、女が何か隠し持っているという報告する声が入るが何かを持っている様子には見えない.

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ええーっと思っていると女が衣の下に隠し持っていた対戦車用の手榴弾を出して男の子に渡す.

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その事を報告して見えるかと聞くと見えないが自分で判断しろと命令される.同僚は間違ったら大変なことになるという.狙撃手は目を標準機に近付けて緊張が増し、更にカメラは標準機の前から覗く主人公の眼が見える.この映像にも驚かされる.

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手榴弾を貰った男の子は戦車の方に向かって走り出す姿がさっきと同様に後ろから映される.

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今度は照準機の映像に変り手榴弾を抱きかかえて戦車に向かう男の子に狙いが定まっている.

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次の映像は予告編にはないのだが銃弾は男の子を倒し、女はそれを見て倒れた少年を抱きかかえるのかと思ったら手榴弾を取って戦車目がけて投げつける一瞬に二発目の弾丸に彼女は倒れる.部隊は慌てて散会して手榴弾は戦車の近くで爆発する.

これらのカットの繋ぎは正に観るという行為の恐ろしさを語っているように思った.緊張感が加速度的に頂点に達するようなカット割りである.これが主人公の最初の狙撃であった.狙撃という行為は何よりも観るという行為でそれは映画に通じるものである.また空間の関係がこのカットの割方で実によく解る.このシーンを観るだけでイーストウッドの素晴らしさが解る.

BeauMale

YouTube - 映画『アメリカン・スナイパー』予告編

さて、以降はゆうたこ君の文章である.


今回のこのアメリカンスナイパーという映画をみて、まず感じること、これは殆どの視聴者が感じることであろと思うが、戦争の悲惨さ、これに尽きるのではないだろうか。主人公のクリス・カイルが最初に殺したのは男の子そして次に男の子に戦車用の手榴弾を渡した女性、初めての殺しが女子供という後味の悪い経験をし、そしてまた一人、また一人と殺す人数は増えていく。まずこの時点で主人公のクリス・カイルの心が擦り切れ始めているのが目に見えて分かる。後味の悪い戦いにクリス・カイルは愚痴を漏らす。しかし、戦争の中で数多くの人を殺せば殺すほど、同じ隊内、軍内では英雄視される。危険な状況下の中で人を殺していく、所謂人が行ってはいけない禁忌というものに触れ続け、複雑なクリス・カイルとは打って変わって、自分達を守ってくれる英雄と持て囃す周りとの温度差は広がっていく。

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そして時間が過ぎ、クリス・カイルの事を待ち焦がれる奥さんのタヤ・カイルが待つ家へと帰る。タヤ・カイルはその場面で、出会った頃のクリス・カイルとは何処か違った印象を受ける。事あるごとに戦争に関連するテレビを見て、世間一般で言う娯楽や、家族へのサービスといったものが希薄になっている。クリス・カイルはタヤ・カイルに大丈夫だと笑顔を送るが、明らかに戦争に影響を受けているクリス・カイルを見て、タヤ・カイルは気が気でなかったろう。

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また時間が過ぎると、またクリス・カイルは戦地へと赴く。日に日に凄惨さを増していく戦場の中で、殺す敵の数は増え、またすぐ隣で、仲間が傷つき倒れていく。普通であるならこういった状況の中に入れば精神に異常を来してまともな思考は出来なくなって来る筈だ、しかしクリス・カイルは心の拠り所を神に置いた。物語の後半で、クリス・カイルは精神病院に行くことになるが、そこで彼は「私は殺すことを一回も後悔したことはない、野蛮な敵から仲間を守り、また祖国を守ったのだから、だからちゃんと、神に問われても言い訳ができる。」こういったことを言っている。神に認めてもらえる事をやっているのだからなんら問題はない、そう自分の中に言い聞かせるようにして銃を握り続けた。そんな彼を見てタヤ・カイルは「貴方の心はまだちゃんとここには戻ってきていない。」といったことを言う。クリス・カイルの心は戦場に置き去りにされたままで、日常の中に戻っていても、もし周りに敵が潜んでいたら、そういった事が頭のなかでグルグルと回って落ち着かない。クリス・カイルが脈拍をはかるシーンがあるが、170程の高血圧であるという描写が入る。実際のクリス・カイルはこの危険な脈拍が、銃を握る時だけ落ち着くのだという。

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これら以外にも戦争に囚われた描写、所謂PTSDを示す描写は随所にある。車を走らせる時、後ろの車がやけに気になる。生まれたばかりの娘を見に病院へ行くと、泣いている娘をあやさない看護師達にクリス・カイルは焦り、そしり、そして異常なまでの怒りを示す。子供に犬がじゃれついて覆いかぶさると、襲っていると勘違いして瓶で殴り殺そうとする。

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そんなクリス・カイルが四度目の出征で、宿敵のスナイパーを殺し、辛くも帰還を果たし、とうとう除隊を決める。その後やり始めたことは戦争で傷を負った人達のところへと赴き、彼等とともに話し、銃を撃ったり指導したり、そういった事を通して、クリス・カイルは戦場から、ゆっくりと、心を日常の中に戻していく。

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ようやく心が自分達の元へ戻ってきたと喜ぶタヤ・カイルを裏切って、戦争によって蝕まれた心を持つ男に、最後、クリス・カイルは殺されてしまう。死ぬ瞬間は映さず、暗い画面に白いテロップで、クリス・カイルは殺されたと映画では映される。その唐突なクリス・カイルの死に、一瞬頭が理解できずに、え?っとなってしまう。そして恐らく実際のクリス・カイルの葬式の映像が流される。クリス・カイルは、その人生を終えるまで戦争から、完璧に離れられることなく終わるのである。

もし、この映画を見て、これが戦争賛美とうの評価をする人がいるのであれば、それはこの映画を見てそう思ったのではなく、もともと戦争が好きで戦争賛美しているようなやつなんだと思う。またクリス・カイルが英雄だとか、英雄じゃないとか、そういった事をこの映画を見て言い争う者がいるなら、その人達はこの映画を見てどうしてそう思ったのかよくわからない、どうみたってこの映画は心が戦争に蝕まれていく事を映していると思うのだが、まぁ、そういった風に見れないということなのだろうと思う。

もし、この映画を見て、これが戦争賛美とうの評価をする人がいるのであれば、それはこの映画を見てそう思ったのではなく、もともと戦争が好きで戦争賛美しているようなやつなんだと思う。またクリス・カイルが英雄だとか、英雄じゃないとか、そういった事をこの映画を見て言い争う者がいるなら、その人達はこの映画を見てどうしてそう思ったのかよくわからない、どうみたってこの映画は心が戦争に蝕まれていく事を映していると思うのだが、まぁ、そういった風に見れないということなのだろうと思う。

このアメリカンスナイパー、恐らく圧巻の戦場シーンとか、そういった臨場感とかを主として褒めて、名作だ、とか言っているのだと思うけど、正直なところ、映像作品としては前作のジャージー・ボーイズの方が上であると感じる。人の撮り方とか、動かし方がコミカルで面白いし、何より映像が綺麗だ。今回のアメリカンスナイパーは戦争を扱っているということで、私は父親たちの星条旗、硫黄島は見ていなかったので、ファイアフォックス、ハートブレイク・リッジの様な作品かと思っていた。見事に裏切られた。壮絶な映画の内容に、改めて戦争に対する恐怖と、戦争の残す傷跡が悲しいものだと思った。アメリカンスナイパーはクリス・カイルの一生をおっていく映画であるが、彼が子供の時、大人になり女性問題で一悶着あり、そして軍隊に入る、そこまではまだ戦争を経験していないから映像の撮り方が開放的であるように感じる。また映像の中にある色も多く、安心感があるが、一回戦争に出征した後からは構成ががらっと変わる。家の中、車の中、病院の中と、多くの映像が閉鎖的であり、色も無機質な色であったり、また暗い影が多く使われている。そして除隊を決意した後、生活する場所が代わり、息子とハンティングに言ったり、娘と馬に会いに行ったりと、開放的な映像に切り替わり、色も増えていく。映像からもクリス・カイルの精神状態や状況を表している辺、イーストウッド監督は実に丁寧に作品を作っていることが分かる。だがしかし、戦争を表わす映画である故、些か仕方がないとも言えるが、戦闘シーンに入ると、殆どの映像が同じような物になってくる。銃を打つ。人が死ぬ。砂塵が舞う。戦車が進む。だから戦闘シーンが始まると、映像としての魅力が少々失われる。だからか、私は戦闘シーンの印象は映像よりも音に良く残っている。馴染みのない銃声、人の悲鳴、これらが耳の中に残る。戦闘シーンはむしろ目をつぶって聞くほうがより鮮明に記憶に残るのかもしれない。

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映画全体を通して、流石イーストウッド監督だなと思わせる映画の作りをしている。戦闘シーンだけが一寸残念であるが、それを差し引いても、今回の作品は素晴らしい物だったと思う。こういった戦争に関する映画はイーストウッド監督は幾つも撮っているが、PTSD等の傷を表わす描写は、その作品の中で幾つも入れられている。イーストウッド監督が戦争の傷に対して関心を持っていることがよく分かる。そういったイーストウッド監督だからこそ、今回のような映画を作れたのだろう。

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