viva cinema

ヴェンダース「アメリカの友人」死に神の手招き

BeauMale
2011.10.5

ヴェンダース の「アメリカの友人」を久々に観たのだが、話の筋は殆ど覚えていないのに画面は殆ど覚えているというのは驚きであった.この映画は 1977 年の作品である.この映画にはヴェンダースが好きな監督が多数出演している.デニス・ホッパー、ニコラス・レイ、ダニエル・シュミット、サミュエル・フラー、ジャン・ユスターシュと五人の名前がある.見ながらさてどれがどの監督なのか見分けがつくだろうかと思ったが、ジャン・ユスターシュ以外は分かった.分かったどころか、「パレルモ・シューティング」でデニス・ホッパーを観たばかりだし、「ことの次第」サミュエル・フラーを観たばかりなので、この映画でもデニス・ホッパーは死に神で「ことの次第」のサミュエル・フラーが逆にマフィアの親分だったかなと混同が起きる.

併し、混同ではなくてこの映画からデニス・ホッパーは死神だったのではないかという気がする.この映画の題名「アメリカの友人は」デニス・ホッパー = 死神なのである.最初の画面はデニス・ホッパー = 死神がタクシーから降りるところから始まる.訪れたのは、既に死亡した画家の絵の贋作を作っているニコラス・レイのところである.注文をして売りさばくのがデニス・ホッパー = 死神の仕事である.受け取った絵は早速オークションに掛けられるが高値で落札される.

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デニス・ホッパー = 死神が誰に取り憑くかというと、腕利き額縁職人のブルーノ・ガンツにである.ガンツの仕事部屋はレンブラントのような光の中で絵の具や木材の匂ってくるかと思われる場所である.

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この職人がデニス・ホッパー = 死神に出会うのはさっきのオークション会場である.彼は友達がオークションに参加する付き添いのようなものである.贋作はこの男がガンツのこの絵の青は怪しいから止めろというのを聞かずに落札してしまう.偽かもしれないというのをデニス・ホッパー = 死神は聞いている.帰り際にオークション会社のオーナーからデニス・ホッパーを紹介されるが握手をしようともせずに出ていってしまう.彼は絵画を投機とする人間が嫌いだという.

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彼の妻もこのオークション会社で働いている.贋作だと見破ったり、握手しようともしない額縁職人ブルーノ・ガンツは自ら死に神を招き寄せたようなものであるが、オークション会社のオーナーから彼が元は絵の修正もこなす腕利きなのだが今は、白血病で余命幾ばくもないということを知らされれば感心を置かざるを得ない.見破られそうでなぜ青を変えたか贋作画家のニコラス・レイに尋ねれば、絵の具を変えたのだって云ってそれを見破った目の確かさに感心する.

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額縁職人一家はハンブルグの港近くの通りに小さな店を構え、一家は未だ学校前の息子と妻との三人家族で、寝ている息子の枕元におかれた機関車の絵本から彩り豊かな機関車が大きくなって煙を吐きながら動き出したのは物語とは関係ない挿話でこういうところにヴェンダースには魅了される.

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朝三人が連れ立って夫は息子を幼稚園に送りに行くため、そして妻は仕事に行くのに出てくる.夫は一人店で仕事に励むが夫を蝕む血液の病がなければ平凡で幸せな一家なのである.

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ところが、デニス・ホッパー = 死神は彼の店までやってきて額縁まで註文するであろう.併し二人は意気投合してしまう.デニス・ホッパー = 死神の家を訪れたフランスのギャングに人を消したいのだが足のつかないような奴はいないだろうかとの相談に、デニス・ホッパー = 死神はブルーノ・ガンツを紹介してしまうのだ.

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そのギャングがこれである.一人または二人の人間を殺して欲しいと直接申しでてくる.もちろん彼は断るが余命幾ばくもないのだから家族に残す大金がいるだろうと誘惑する.

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そんなある日彼のもとに大金が送られてきて、パリに来てくれたら大きな専門病院でこれは条件なしで見てもらうように手配いた.送った金で翌朝の飛行機でパリに来てくれとある.彼がパリ行の決断をする演出が凄い.その様子を店の外で密かにデニス・ホッパー = 死神が見ているのである.

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額縁に貼り付ける金箔を息で台紙から吹きとって手のひらに乗せる.

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次に電話機に向かって金箔を載せた手のひらで思い切ったように電話の受話器を掴みパリに電話をして明日行くことを知らせる.

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妻には知り合った客の紹介でパリの専門医に診てもらうと云ってパリに発つ.ギャングに迎えられて、オナシスもジャン・ギャバンもそこで死んだという病院に連れていかれ診察を受け、特別計らいでただちに結果を知らされる.思わしくない結果であるのは言うまでもない.

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ヴェンダースの映画では必ずどこかで映画的なものが装入される.父がパリに居る間ハンブルグの家では息子とその友達がリュミエールの映画の発明以前に連続している動きの画像をパラパラめくると動いているように見える原理を、円形の内側に連続する画像を貼り付けて回転させていくつか開いた窓から覗くと同じように動くように見えるがそれで遊んでいる.

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ブルーノ・ガンツの方は一流の専門病院で診察してもらい、悪い結果が出たとなると、暗殺の仕事は断れなくなっている.下は殺す相手を見張るところであるが、この後地下鉄に乗ってずっと跡をつけ機会を伺うのである.

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その殺される相手の殺し屋だという男はダニエル・シュミット監督が演じている.ダニエル・シュミットの作品は殆ど主要なものは「今宵かぎりは(1972)」、「ラ・パロマ (1974)」、「カンヌ映画通り (1981)」、「ヘカテ (1982)」、「トスカの接吻 (1984)」、「デ・ジャ・ヴュ (1987)」、「季節のはざまで (1992)」、「書かれた顔 (1995)」と全て劇場で観ているが、DVD が欲しいと思ってみたらどれも目の玉が飛び出る程に高い.「人生の幻影(1984)」は残念ながら観ていないのだがこれはダグラス・サークのドキュメンタリーで見逃したのが口惜しい.「書かれた顔 」は坂東玉三郎や杉村春子を撮ったドキュメンタリーである.シュミットはオペラの演出家でもあって舞台に対しての造詣も深い.

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人気のない広い駅構内で上りのエスカレーターで後ろから拳銃を放って暗殺は成功してしまった.併しそれでは済まなかった.もう一人だと云われる.ミュンヘンから北に向かう高速鉄道で行えと云うことになって断ったものの結局拳銃を持たされて乗車する.不用心にも列車内のトイレで鍵も掛けずに拳銃にサイレンサーを装着しているところに、暗殺する相手が入ってこようとして拳銃を見て慌てて外に出たのでこれは不味いとブルーノ・ガンツは拳銃片手に飛び出すが、外で待ち構えていた相手に殴り倒される.所が、そこに助っ人が現れ、一体これは誰なのかと思ったらデニス・ホッパー = 死神なのである.一度目は選択権があったが二度目はそうではないと助けに来たのだという.自分の目の届かないところでは死なせないということなのであろう.

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殺し屋がトイレに行ったまま戻らないのでマフィアの用心棒が探しに来た.これも二人で始末してしまう.

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ブルーノ・ガンツは強い味方が現れ大喜びである.マフィアの親分はサミュエル・フラーが演じていて黒めがねの子分を従えて仲間を探しに来る.これを見ると「ことの次第」で撮影監督であったはずのサミュエル・フラーが実はマフィアだったのだと思わず錯覚してしまった.結局二人は捕まらずに無事に帰ることが出来た.

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戻った所にパリのギャングがやってきて、自分の家が爆破されたが何か手違いがあって俺の名を喋ったかと訊かれたが、デニス・ホッパー = 死神と一緒にやったことを告げる.デニス・ホッパーが危ないぞと気付いて彼は今や戦友でもあるデニス・ホッパーの元に行くと、二人で襲ってくる敵を待ち構えて倒すことにする.現れたのは救急車で中にはパリのギャングが縛られていて、サミュエル・フラーも乗っている.

さすがは死に神は強くて瞬く間にマフィア達は暗がりに乗じて全員倒してしまう.そこに妻が車で駆けつけ夫を救い出す.暫く前から大金が振り込まれていたり、パリの病院の診断書は偽物と分かり何か尋常ならざることが起きていると夫を捜し回っていたのである.ギャング達の乗った救急車を海岸で爆発するまではデニス・ホッパー = 死神と同行するが爆発後彼の正体を見破ったかのようにデニス・ホッパーを残して二人は立ち去ってしまう.

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夫はへとへとであるものの、死に神の裏を掛いてしてやったりとばかりにはしゃいで蛇行運転をする夫の陽気さに気付かないでいた妻は、死に神の裏など掛ける道理はない.彼は事切れて車は道を乗り越えて海岸の砂浜で止まった.

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ヴェンダースの映画、「ことの次第」、「パリ、テキサス」、「リスボン物語」、「アメリカの友人」、「パレルモ・シューティング」と観てきたがすべてに共通するのは人のある場所から別の場所への移動で、それが見えない力によってなされていると云うことである.

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