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ゴダール「彼女について私が知っている二、三の事柄」はどう語ればよい

BeauMale
2011.12.25

この「彼女について私が知っている二、三の事柄 (1966)2 OU 3 CHOSES QUE JE SAIS D'ELLE」は先日書いた「中国女(1967) LA CHINOISE」の前の年の作品である.「中国女」と違ってこの作品はどう書いたらよいか途方に暮れる.この映画は大好きな作品であるがこれについて語るのは難しい.何故難しいかというとこの映画は断片から出来ている.全ての映画は確かにショットという断片から出来ているがその断片同士には繋がりがある.それをよりどころに語ることが出来る.併しこの作品の断片は物語的継続性がない.物語るとは断片を一つの繋がりとなるように言葉を紡ぐことであるがその足掛かりがないので途方に暮れてしまう.

この映画は囁き声のナレーションがあるがそれが物語っているわけではない.映画の主人公である「彼女」ジュリエットはマリナ・ヴラディが演じているが彼女は物語の中の人物であると同時に観客の方を向いて語り、物語の継続性を断ち切ってしまう.

YouTube - Godard - 2 ou 3 choses que je sais d'elle, 2 o 3 cose che sò di lei.


囁き声のナレーションは、舞台がパリ首都圏の整備拡大計画が公布されたことを話し、至る所にクレーンがあって新興団地や道路が作られている有様が語られその騒音が聞こえてくる.その新興団地に住む女優だとマリナ・ヴラディが紹介される.これは役名ではなく女優としての彼女の名前である.彼女が右を向くと彼女が右を向いたとナレーションが差し挟まれ、併しそれは重要ではないという.左を向く時も同様である.これは物語を断ち切ると同時に、映画的作法、右を向けばその向いた先は何かの期待に応えるようにキャメラはその方向を映すという常道を断ち切る.マリア・ブラウディと紹介していたと思ったら、主婦ジュリエットと再び紹介され直される.それも髪の色からセーターの色まで同じに紹介して、彼女は女優として紹介される時はブレヒトを引用したりするが、役名で紹介されれば夫の収入であるとか団地で主婦をしているとかの話をこちらを向いて全く同じ調子で話すのである.

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こんなクレーンがあちこちで轟音を上げている.

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この青いシャツの男が彼女の夫ロベール(ロジェ・モンソレ)で左の友人と団地の自宅で真空管の林立する何かを、組み立てているのだが、ヘッドフォーンをしながらベトナム反戦のことを喋っている.妻に「ストーンは石だね」と尋ねるところがあるので英語放送を聴きながら翻訳をしているのかも知れない.この組み立てているものはラジオなのかテープレコーダーなのかあるいはもっと違うものなのか筆者には分からないが、これが彼の趣味のようである.妻や男の子と女の子が出て来て一家は四人暮らしと解る.この組み立てている真空管の辺りに爆撃機の音とともに煙が立ったりもする.

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そしてこれが巨大な団地群である.団地にやっと入れても電気代が嵩むしガス代も嵩む.家賃を払えばバカンスは諦めざるをえない.ということで主婦売春が行われる.

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ここはこの帽子の爺さんが管理する売春婦用の時間貸ししているホテル替わりの部屋で、彼女が泣きじゃくる娘を連れてきたところである.

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ここでは託児所もやっていて爺さんが子供達の相手をする.泣きじゃくって母親に追いすがろうとする娘を呼んで子供達の中に連れてくるとキャメラはそのままパンをする.

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パンした先は窓の外で道行く彼女が映し出される.

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彼女の向かった先は服屋で物色するがその芝居の中で服屋の店員がこちらを向いて自分のことを話したり、彼女自身がこちらを向いて「都市の果たしていた創造的役割は失われ情報媒体がそれに変わる」といった話をして舞台は中断される.

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娼婦である彼女たちはこういう場所で客を待つ.

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彼女が煙草を求めてカウンターに行くとカウンタにいた女がこちらを向いて自分のことを話し出す.彼女もまた娼婦である.

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幾つかのショットの後に彼女がカウンターの前をを左から右へと移動して眼鏡の男の前を過ぎると、男は彼女を呼び止め引き戻す.この男はぽん引きでたった一割なのだから面倒を見させないかと要求するが、彼女がそんなこと解っていると応えると、誰それを見ろといわれて彼女の振る向く相手は黄色い服の女.顔を切られたのねというと、怖くはないのかと尚も引き留めようとするが彼女は戦争は終わったし長くやっているつもりはないと断る.このシーンで面白かったのは、男が彼女を引き留め彼女の方を向いてキャメラはもっと右に移動するのが普通だと思うが彼女を態々画面の中に引っ張り込むところだ.

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彼女はは座るが最初の席ではない.直角に交わるソファーの左側に彼女が座り右側に別の娼婦が座り、二人は互いを見たり雑誌を見たりしているが一言もなく囁き声のナレーションが流れる.手前に新聞を読む男がいるが、客あるいはその候補というわけでもない.

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この男のコーヒーらしいがコーヒーの入った茶碗がアップで映される.それがスプーンでかき混ぜられると中のコーヒーの表面の不定形の形状が変わる.

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こんな風に、

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あるいはこんな風に、

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最後は泡だけが、この間ずっと囁き声のナレーションが入る.こういうものがしっかりと映像として生きるのである.筆者はこの画面が一番印象的であったのだ.

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YouTube - « 2 ou 3 choses que je sais d'elle » (1967) de Jean-Luc Godard

彼女が客を取る画面がある.最初に金を受け取る.

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客の若者は壁の鏡を外してこんな様斜めにに立てる.鏡を置いても良いかと男が尋ねると彼女は女は誰でも内気だから駄目だと断るが性交渉で女だからと恥じるのは変なことだという.この映画ではあからさまな裸も性交場面も決して登場しない.極めて映画的小道具の鏡をこんな風に立てるということが面白い.

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男と話しながらも彼女はいきなりこちらを向いて自分の事を話す.幸福か無関心か感じないことが恥で、男の性器が私の股の間に入る.腕には腕の重さがある.夫と別れるべきかも知れない.彼は出世したがらず現状に不満はない.彼女は不安を感じていて悲しいというその顔はとこの雰囲気がレオナルドのモナリザを思わせる..

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YouTube - Godard - 2 ou 3 choses que je sais d'elle, 2 o 3 cose che sò di lei.

次に美容院のシーンがあるがその中の美容師の一人は電話で呼び出されて英語で答えて応対する.恐らく彼女も娼婦なのだと思う.彼女とは別の美容師が自分の趣味を語り出す.この顔もルネサンスかバロックの絵に出て来そうな感じがする、

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ジュリエットと多分美容室で英語で応対していた女と一緒に自分の車で夫の働くガソリンスタンドに洗車に訪れる.

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そこでこの木のショットの同じものが二度出てくる.

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最初はこのアップが先でキャメラが引いていくのと、二度目は逆にキャメラはロングからアップへと変わっていく.勿論このショットは話には無関係である.そのショットの時ではないが、「人間よりオブジェを大切にするのはオブジェの方がより存在するからだ」というのが囁き声のナレーションで入る.

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そして木々の間にクレーンが見えるショットも入る.

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洗車を終えて二人が云った場所は大きなホテルの一室でそこにはベトナム特派員でベトナム戦争が嫌になって息抜きに来ているアメリカ人で奴らは阿呆でベトコン一人殺すのに百万ドル使っている.同じ金でジョンソン大統領は彼女たちを二万人買えるのにと話す.

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彼は盛んに写真を撮って、裸の二人に航空会社のバッグを被せて歩く姿を写真に撮る.

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被り物を取った彼女は独白を始めその合間に、

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何枚かのベトナム戦争の写真が挿入される.

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その仕事を終えてから彼女は夫と待ち合わせている.夫はカフェで盛んに何かを書いている.隣の席には若い女がいる.

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この二人の画面に突然山ほど本に溢れた古本屋か何かのショットが挟まれ、本に囲まれた男は片っ端から本を手にしては一節を声を出して読み上げる.何の脈略もなくあらゆる本がある.

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また二人の方に戻ると若い女性は「中国女」にも出ているジュリエット・ベルトであった.彼女は来るか来ないか解らない人を待つと云い、夫の方は妻を待っている.何ということなく二人は話すようになっている.その間も古本屋のシーンが声が被さったりもして挿入される.

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更にもう一つ別のシーンが挿入される.男の方はノーベル賞受賞者で若い娘は彼のファンである.この二人は夫とベルトの後ろから入って来るのが見えたので少なくとも同じ場を共有しているが、古本屋の方は何の共通性もない.男女の二組はそれぞれ議論のための議論をしているがこの三組混合のシーンはこれだけで終わりである.

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YouTube - Juliet Berto | 2 ou 3 choses que je sais d'elle (1967)

次が些か奇妙なシーンである.夫と彼女の乗った赤い車が大通りをやってきて、

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脇道に入って進む.ここまでが連続して二度繰り返されるのである.初めて観た時は驚いたが、二度目からはもう一度観られるのが嬉しくなる.

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二度目の車が進むといきなりこのシーンが挿入されてこれは何の店であろう、美人がこちらを向いて微笑んでいる、

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そして次は車に戻って団地に向かう道を縦の構図であるがキャメラを傾けて車はずんずん奥に進んで行く.

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車は何処で止まって二人が降りてくる姿を映すのが普通であるがそういうシーンはなくていきなり彼女が巨大な団地建物の前でこれも普通ではないであろう、胸の上で切った映像で後ろの建物に比較して小さな姿に納められている.ここで彼女の独白なのだが、あの若い男とホテルに向かう途中、奇妙な感覚なのだが、世界と私の結びつきを感じる感覚、

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とここまで言った時にキャメラが右にパンし始めた.

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そして、左側の建物が見える辺りで、突然世界が私になり、と言葉を継ぐが、

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キャメラは更に彼女から見て正面へと回転して、世界は私だという気がしたという彼女の言葉が被る.

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そのまま正面を滑って行き、

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向かって左が見えて、

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元にに戻ってくる.360 度回転したのである.回転後も彼女は独白を続ける.人の表情は誰某に似ているとか決めつけるが、描写しきれるものではない.でも私の表情は何かを現している.一般的な描写とは関係無い何かを.つまり、描かれたフォルム...ということを話す.

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このあと幾つかこの夫婦に関係無いショットが挟まれ、二人が自分たちの部屋の前に来たところで再開される.妻は夫に子供達を探してきてくれと頼むが、上の男の子が直ぐ脇の二人が上って来たであろう階段に腰掛けているのに気付かない.これも不自然なことだが観ている時はそれは解らない.

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妻は息子に気付き息子は学校の宿題の作文を書いている所だが読むという.団地に来てから学校が変わって男女共学になっての作文で「仲間意識」(camaraderie を字幕は「同志愛」としているが、小学生にそれはないだろう.)という題である.作文はとても可愛らしくて誰々、誰々という女の子はとても優しく素直で「仲間意識」は望ましい.といった話を読む.途中から彼女が変わって朗読するが途中で止めて部屋に入ってしまう.

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息子は作文を仕舞って玩具の機関銃でダッダッダッダッダッと打つ.水平の弾倉が動いて弾丸の発射音が聞こえる.

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その後舞台は室内に入って夫の「やっと着いた」という言葉尻を彼女は捉えて何処に着いたのかと問う.夫は我が家だろうと応えれば、妻はそれでどうするのかと更に問いを続ける.寝るさの応えに、その後はと更らにたたみかける.起きて仕事をして食べて同じことだという夫に妻は尚もその後はと問うので夫は結局、解らん、死ぬと応える.次のショットが子供部屋で、男の子が駆け込んできてベッドの上を飛び跳ねる.息子の相手をしながら彼女はこちらを向いて独白をする.

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何時もぐずっている女の子が連れてこられ、彼女は二人を寝かしつける.

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夫は少し例の機械に向き合ったが息子の機関銃を出して虚空をダッダッダッダッダッと打つ.夫もこちらを向いて独白をする.

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妻は先にベッドに入り、こちらに向かって「私自身の定義、まだ死んでいない」と語り傍らの本を声を上げて読み出す.未来の実用的知能指数といった話である.

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夫もベッドに入るが彼女は読んでいる本の下線を附けたのは夫だと知って不満これには賛成出来ないといって尚も朗読を続けるので、夫はそんなの読むなと取り上げてしまう.

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そして最後シーンはなんだか解らない映像が入って囁き声のナレーションが世界の不幸を忘れてといって次の映像で終わる.アメリカ的生活様式を象徴するものが並んでいる.

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この映画の断片化はアメリカナイズされた現代生活の断片化という見方はあるであろう.囁き声のナレーションはそれを語っている.併しそう断じるのは言葉であって映像ではない.映像は何を語っているか.映画というものそれ自体がショットという断片から出来ている.それを繋げて物語として成立させれば断片化されているとは言わないであろう.多くの人は映画を観ないで物語しか見ようとしない.そういう人にとっては別物なのだろうが、同じ事なのである.映画はショットから出来ているのだと言うことを語る映画であるのだ.最後の家に帰り着いてからの話は見事に普通のホームドラマになっている.これもその前も同じものなのだよとゴダールは言っている.だからこの映画は映画についての映画なのである.

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